安政3年に造営された前の醫師神社(医師神社)
プラカードの「青空浴場」は、共同浴場のことである。川尻に共同浴場が6つあった。子供会も同じく6つに分かれていた。花、青空(コザカ)、若菜(シマ)、太陽、光、若木(デマチ)。風呂対抗で競っていた。21時ごろになるとアイスキャンディーがもらえた。22時過ぎか、終わり際に、くじ引きを1本引き、喜んで公民館の引換所に走ったものである。
「ハンヤーサンカサー」、「おっぴきかいさん」、8月24日~25日の祭りが終わると夏休みの終わりを感じた。子ども心にもむなしさを覚えたものだ。
醫師神社(医師神社)の境内を「どろまえ」と言い、吉毛利商店で、ファンタを飲み、祭りには、屋台が並び、本当に楽しい、うれしいものだった。
まちむら交流紀行 から転載 https://www.kouryu.or.jp/festival/detail/17361/5642/
共同浴場では、おじいちゃん方が、相撲談義をしていた。
男風呂と女風呂で、掛け合い漫才のようなこともあった。
脱衣室の上の方に、世帯主の名前の板があり、風呂当番が分かるようになっていた。
風呂当番のときは、22時前に最後に風呂に行って、他の人が上がってから、風呂掃除をした。大人の人の背中を流したり、洗ってもらったりしていた。社交場であった。
私は、川尻で生まれ、育ちました。かつて、村は、深いきずなを感じる地域でした。のどかな感じでした。
小学校は木造校舎の学年 1 クラス。田んぼでザリガニを取り、小川があり、畑では、こやしの匂いがしました。学校で、運動場で、神社で、村の駄菓子屋で、学年に関係なく、子どもたちは、いっしょに遊びました。まわりの大人からはよく叱られました。
畑のイチゴや庭のグミをとって歩き、村の共同浴場では騒ぎ、湯船で、おしっこをするのですから当たり前です。
葬式があれば、お菓子をとろうと、縁側で待ち構え、終わると同時に奪い合います 。行儀が悪いと注意されました。
火遊びが見つかり、芋づる式にばれて、職員室の時計の下で正座しました。地域の大人と先生が連携して、しつけをしてくれていました。
行事も盛んでした。祭り、盆踊り、ソフトボール、相撲、サッカー、卓球、自転車の乗り方、キャンプ 、雪の芸術作り、ミニスキー、子ども会、おもしろいことがたくさんありました。大会の後は、必ず外食に連れていってくれました。普段食べられない焼肉、ラーメン、アイスクリームに大喜びしました。大人たちも大変だったと思います。
学校の先生もよく遊んでくれました。放課後だけでなく、下宿していた先生の部屋に起こしに行っていっしょに遊びました。 朝 4 時に起きて、理科室から望遠鏡を出してきて、みんなで彗星を見ました。子どもたちは、ただ楽しいだけの日々でした。
どの家も鍵などかけていませんでした。帰ってきたら、勝手に野菜や餅やお土産が置いてありました。ごはんが足りなくなると茶碗を持って借りに行きました。
振り返れば、地域の大人たちが見守っている中で、安心して日々過ごしている、そんな地域でした。どこのだれか知らなければ「お前はどこのもんや?」と必ず聞かれました。屋号や父の名前をいうと「そうか。そうか。」と言ってくれました。知らない人などいないのです。
そして祭りは楽しみでした。医師神社の周りに、屋台が来るのをみんなで待っていました。ちょんがり踊りの「ハンヤーサンカサー」や獅子舞の「おっぴきかいさん」の笛と太鼓を聞いたりすると一気になつかしさにあふれます。
お宮さんの鳥居がバラバラになりました。悲しい気持ちになりました。もういちど、今だからこそ、バラバラになったみんなが、もういちど、つながった地域になってほしいと思います。 事務局長 中島敏勝
私たちの祖先は四季の移ろいに敏感に反応しながら生活の営みを続けてきました。太陽や雨や風など、自然界に起こる様々な現象や天変地異などの荒々しい力の中にも神々を感じて恵みを与えてくれるよう祈ってきました。そして、自然をつかさどる神さまは、わたしたちの生活すべてに関わる神さまとして人々を見守っています。
日本人は古来、人智を越えるような巨石、清らかな水が沸き出る泉、あるいは山そのもの、川そのものに神さまが宿ると考え、祈りをささげてきました。全てのものに神が宿り、八百万の神がいるとされる神道の始まりです。そして今日まで、「自然と人」、「人と人」とが協調をして暮らす穏やかな営みを続けてきました。
神社は、もともとそこに存在していたわけではありません。いつのころからか、生活を共にする人々が集い、神さまのために社を建て、神々を意識する場が整えられ「感謝」と「祈り」をささげる場が「神社」となり、御神威が広がってきました。
このような祈りの場を設けることで、自然の営みの中から神々を見いだし、生き方を学び、親から子へとその心が受け継がれる中で「自然を大切にする気持ち」や「人をおもいやる気持ち」が育まれ、日本人の伝統的な信仰の礎と日本文化の形を築いてきました。
私たちは古くからの伝承や歴史をふまえながら、心身ともに豊かに暮らす知恵を生活のなかに生かし、神さまと共に生活をしてきました。そして、その中心にはいつも神社がありました。
神社はいかなる信条の人も拒みません、いつどんな時にも訪れて良い場所です。ふらっとなんの計画もなしに訪れることもあれば、様々な祈りや願いをもって訪れることもあります。わたしたちの一生は神さまのご加護で溢れています。
一般的に特別な日として印象深いこのお祭りの本来の姿は、「神社の神さまのために執り行う儀式」です。
お祭りでは、神饌(お米をはじめ季節の作物)をお供えし、「感謝」や「祈り」の言葉である祝詞(のりと)を奏上して神さまにお喜びいただき、おもてなしをすることが一番大切な目的です。
神さまのもとに地域の人々が集まり、共に喜びを分かち合う特別な日。この様子が賑いをみせる「お祭り」の光景です。
神社では一年を通して沢山のお祭りや儀礼があります。
お祭りは、地域の発展や平穏、人々の安全につながる公の祈りと言えます。自然が与えてくれる豊かな恵みに感謝し、日本の伝統にもとづいて、神々に対する祖先のこころを今に伝える大切なかたちです。お祭りを通して、自然と調和する日本人の生き方がはぐくまれてきました。
このような「四季のお祭り」を通して、私たちは神々に感謝し、祈りをささげ、季節を感じ、暮らしに節目をつけて、心も身体も豊かに暮らしてきました。
「日本の文化」を伝える季節ごとの「お祭り」や、人の一生における「儀礼」は伝統の継承とともに、私たちの地域や生活に節目をつくり、明るい彩りを加えてくれます。
近江國一宮 小國神社「神社のイロハ」より http://www.okunijinja.or.jp/